大判例

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東京高等裁判所 昭和36年(う)2740号 判決

控訴人 原審検察官 山本清二郎

被告人 石川信郎

弁護人 成富安信

検察官 岡崎悟郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五年に処する。

原審における未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は東京地方検察庁検事正代理検事山本清二郎名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人成富安信提出の控訴答弁書と題する書面のとおりであるからいずれもここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点について、

所論は原判決が本件公訴事実中強姦致傷の点のみを有罪と認め強盗の点を無罪としたのは事実を誤認し法令の適用を誤つた違法があると主張する。

案ずるに原判決は「盗取以外の目的で暴行脅迫を加え、相手方を反抗不能の状態に陥れた後始めて財物奪取の犯意を生じこれを実行した場合でもこの行為を強盗罪として評価しうるためには、その際新に右の反抗不能の状況を利用して金品を不法に領得する意思を生じその実行として金品を取得または提供させることを要するものというべく、右のような意思とそれに基く行為を伴わない限り単に右の機会に財物を持ち去つたり或は被害者自らが害悪を免れるため進んで提供した金品を受け取つてもそれは強盗罪の犯意と実行を欠くものであつて強盗罪は成立しない」との見解の下に、本件において被告人は最初強姦の目的で芳賀美恵子に暴行を加え同女を殆んど反抗不可能の状態に陥れたが、その時同女から「金をあげるから放して下さい」と云つて被告人の速やかな退去を求めたので、同女の差し出した五千円を受け取つて逃走したものであるが、右金員奪取の際改めて被害者の畏怖状態を利用して金員を提供させようと決意したこともまたこの決意に基き更に暴行脅迫をしたこともこれを認めるに足りる証拠ないし状況は認められないとして強盗の点について無罪の言渡をしたものである。

しかし強姦の目的で婦女に暴行を加えたものがその現場において相手方が畏怖に基いて提供した金員を受領する行為は、自己が作為した相手方の畏怖状態を利用して他人の物につき、その所持を取得するものであるから、ひつきよう暴行又は脅迫を用いて財物を強取するに均しく、その行為は強盗罪に該当するものと解するのが相当である。(大審院昭和一九年一一月二四日判決、判例集二三巻二五二頁参照)原判決は右判例は犯人の作為した畏怖状態が財物強取の意思で惹起されたものでないことを看過し、強盗罪の客観的側面に類する行為があることに眩惑されて一挙に強盗罪に該当すると即断する誤りに陥つたものであると非難しているが、強姦の目的でなされた暴行脅迫により反抗不能の状態に陥つた婦女はその犯人が現場を去らない限りその畏怖状態が継続し、その犯人が速かに退去することを願つて金品を提供する場合においても、その提供は右畏怖状態に基く不任意な提供であることは明らかであつて、これを受け取る行為は即ち相手方が畏怖状態に陥つているのに乗じ相手方から金品を奪取するに外ならない。従つてその金品奪取の時において、先になされた暴行脅迫は財物を奪取する為の暴行脅迫と法律上同一視され、右犯人は刑法第二三六条にいわゆる「暴行又ハ脅迫ヲ以テ他人ノ財物ヲ強取シタル者」に該当するものと解すべきである。なお原判決引用の大正一一年一一月七日の判例は、恐喝罪を構成しないとする場合については判決の傍論として述べているに過ぎないものであつて、且つ財物を領得する者が相手方の畏怖状態を利用して領得して場合については言及していないから直ちに原判決の理論を是認しているものとは云い難い。要するに原判決の認めた行為自体によれば、本件被告人は相手方が被告人の暴行脅迫により畏怖しているのに乗じ、相手方から右畏怖に基き提供された金員を奪取したものに外ならないから、叙上説示する理由により刑法第二三六条第一項所定の強盗罪を構成するものと云うべきである。従つてこの点において原判決は法令の解釈適用を誤り事実を誤認した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

控訴趣意第二点について

所論は原判決の量刑が軽きに過ぎ不等であると主張する。よつて案ずるに原判決は前示のように本件公訴事実中強盗の点を無罪とした点において失当であるばかりでなく、本件記録を調査し各犯行の動機、犯情、犯行後の情況等諸般の事情を総合考察すれば原判決の量刑はいささか軽きに過ぎるものと認められるので右論旨もまた理由がある。

よつて刑事訴訟法第三九七条第三八〇条第三八一条第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所において更に判決をすることとする。

当裁判所の認めた事実並びにこれを認めた証拠は次のとおりである。

被告は一七歳の頃から窃盗、詐欺の犯行を重ね、現在まで殆んど刑務所で暮し昭和三六年七月五日横浜刑務所を出所してからは草花苗の行商をしていたものであるが、

第一、昭和三六年七月一二日午後二時頃東京都練馬区関町五丁目二二七番地芳賀信雄方を訪れ、ただ独り在宅するその妻美恵子(二四歳)にバラの苗など六〇〇円分を売り、庭に植えた後、台所入口で代金の支払を待つうち、美恵子の容姿に強い魅力を感じていた被告人は同女が小銭を取りに台所から隣室の洋間に入るのを見るや情欲を押さえきれず、強いて姦淫しようと決意し、直ちに同女のあとを追つて洋間に入り、同女に抱きつき、大声で助けを求めながら逃げようとするのを後ろからとらえて口に手拭を押しあて、もつれあつて倒れた同女の上に馬乗りになり両手で首を締めてその反抗を抑圧して強いて姦淫しようとしたが同女が極力抵抗したためその目的を遂げることができず、その際右暴行により同女に対し加療約一週間を要する頸部絞扼傷および左肘打撲傷を負わせ

第二、前記日時場所において、同女が被告人の前記行為に極度に驚愕畏怖しているに乗じ同女が被告人の速やかな退去を希望する余り差し出した現金五千円を奪取逃走してこれを強取し

たものである。

右事実は

〈証拠説明省略〉

を総合してこれを認める。

なお被告人に累犯となる前科の存することについては原判決の判示を引用する。

法律に照らすと被告人の判示第一の所為は刑法第一八一条第一七九条第一七七条前段に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、判示第二の所為は同法第二三六条第一項に該当するところ、被告人には前示前科があるので同法第五九条第五六条第一項第五七条により同法第一四条の制限内で法廷の加重をなし以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重した刑期範囲内で被告人を懲役五年に処し同法第二一条を適用して原審における未決勾留日数中八〇日を右本刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い、被告人にこれを負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 藤嶋利郎 判事 山本長次 判事 荒川省三)

検察官山本清二郎の控訴趣意

第一点本件公訴事実は強姦致傷及び強盗である。これに対し、原判決は強姦致傷のみを有罪と認め、強盗の点を無罪とした。これは事実を誤認し又は法令の適用を誤つたもので、その誤が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は到底破棄を免れない。

(一) まず原判決の無罪理由を見るに、元来強盗罪は財物を強取する意思のもとに、その手段として被害者の反抗を抑圧するに足りる程度の暴行脅迫を加えそれに基き財物を取得することを要件としている、然るに本件被告人は強姦目的又はその発覚防止の目的をもつて加えた暴行脅迫により畏怖している被害者がそれ以上の被害を免れるため提供する金員をその情を知りながら受領したにとどまり、右金員の提供を受けるにつき被告人において改めて被害者の畏怖状態を利用しようとしたことも、またそのような意図でさらに暴行脅迫をなしたことも、これを認めるに足りる状況ないし証拠を発見しがたい、従つて強盗とはならないというにある。

(二) しかしながら、本件被害者が、本件の如き状況のもとに五千円を被告人に提供し、被告人がこれを受領した行為を刑法外の事実と見ることは如何にも社会通念に反する。本件金員提供行為は、原判決も認定しているように被告人の暴行脅迫により極度な畏怖状態にある被害者が、その畏怖状態から脱却するためになしたもので、任意性の全くないものである。被告人も被害者がかかる畏怖状態にあることを承知で受領しているのである。このような場合の被告人の行為を刑法上奪取という。奪取を分説すれば窃取、喝取、強取である。本件の場合は窃取と見るべきではあるまい(もつともこの点については反対説がある。例えば高松高裁昭和三四年二月一一日判決、高裁判例集一二巻一号一八頁である。しかしこの見解自体にも疑問があるばかりでなく右事件と本件とはやや事案を異にするので、ここではこれ以上論及せず本件においても窃盗罪の成立を主張する説のありうることを指摘するにとどめる。)。然らば喝取か強取の何れかに当るわけであるが、その差異は暴行脅迫の程度による。本件の場合は明らかに最強度の暴行脅迫である。従つて強取に当ると見るべきであろう。しかしここに一つの問題がある。被告人の暴行脅迫は当初強姦目的で行われ、次でその発覚防止のため行われ、金員奪取のためには行われていないとされている点である。原判決は金員奪取の意思がなかつたとする外、その意思に添う行為すらないとするのであるが、被告人は被害者の提供する金員を受領しているのであつて、積極的に提供せしめる行為はなかつたにせよ、自己の暴行脅迫により極度な畏怖状態にある被害者が切迫した生命身体の危険に陥いつた畏怖から免れようとして提供する金員であることを了承しながら、受領収受しているのであるから少くとも奪取行為はあつたものと見なければならない。従つて残るのは金員奪取の目的による暴行脅迫があつたかどうかの点にのみ問題があるのである。この点につき原判決は、大審院昭和一九年一一月二四日判決(刑事判例集二三巻二五二頁)が其の理由中において「仮に相手方が提供したる金員を所論の如き趣旨にて(「姦淫の目的を達し得ざりし腹癒せと逃げかけの駄賃に金を窃取したるもの」弁護人の所論)受けとりたりとするも強姦犯人にして其の現場を去らざる限り、其の既遂なると未遂なるとを問わず、婦人の畏怖状態は継続するを通例とするが故に、強姦犯人がかかる状況下其の現場において相手方が畏怖に基き提供したる金品を受領する行為は自己の作為したる相手方の畏怖状態を利用して他人の物に付其の所持を取得するものなれば、畢竟暴行又は脅迫を用いて財物を強取するに均しく其の所為は正に強盗罪に該当し所論の如く窃盗罪に問擬すべきに非ず」と論じ、本件事案の如きも強盗罪をもつて論ずべき旨を明らかにしているにもかかわらず、「右の判旨は犯人の作為したる畏怖状態が財物強取の意思をもつて惹起されたものでないことを看過し、すなわち、強盗罪における主観的要件(犯意)を忘れて、単に強盗罪の客観的側面に類するものがあることに眩惑され、畢竟暴行又は脅迫を用いて財物を強取するに均しい点のみをとらえて、一挙に正に強盗罪に該当するの誤りに陥つたもの」とし右判例をもつて本件に適切でないとしたのである。確かに右判例の事案と本件とは異る。すなわち右判例の事案は、姦淫目的の暴行により畏怖して金員提供を申し出た被害者に対し、金員奪取の意図で更に暴行を加え、金額を示して提供を迫り、その目的を遂げた後なお姦淫目的の暴行脅迫を加えている事案であるのに対し、本件では証拠上、被告人に右のような金員奪取に関する積極的意図も行動も認められないのである。しかしながらこのような事案の相違はあつても右判例の考え方を本件に適用することを拒否するのは相当ではない。なぜならば右判例の事案における弁護人の上告趣意を見るに「此処に用いたる暴行脅迫は、凡て姦淫の手段にして、財物強取の手段に非ず、全く被告人は金をとるなぞと云う事は夢想だにし居らざりしなり、要するに姦淫の目的を達し得ざりし腹癒せと逃げかけの駄賃に金を窃取したるもの」というのであつて、これに対する判決理由としての右判示を見るならば、そこに前提とされている事実は、強姦犯人がその強姦目的による暴行脅迫により畏怖した被害者が畏怖に基づき提供する金員であることを知り乍らこれを受領すると云う事実である。これが右判例における前提事実であつて、それ以外の事実は現実に存在したとしても右判例を判例として見る場合重要性を持たないのである。いうまでもなく判例が判例としての意味を持つのは具体的事実との関連においてであるが、その場合の具体的事実とは現実に存在したあらゆる事実ではなく、判旨を生む前提として重要な事実に限られるのである。原判決もこの理を否定する趣旨ではあるまい。ただ何が重要な事実であるかの判定につき本論旨とその見解を異にしたものと解する。しこうしてわれわれは前掲判例における判旨を素直に読めば、それは原判決の論ずるところと異り、本件と同一事実を前提とする判旨と考えるのを相当とするのである(前掲高松高裁判決も同様に考えていることは、その判文上明らかである)。もしそうでなければ、本件被告人の金員奪取の行為は、被害者の任意に提供する金員を受領するのと少しも異ならないこととなつて社会常識に反する結果となるのである。

(三) 原判決は強盗罪には強姦罪における如き相手方の抗拒不能に乗じて犯した場合の規定がないことを挙げ本件は恰も法の欠缺により処罰し得ないこととなるかの如き説明をしている。しかし本件事案では原判決も認定しているように被告人は被害者が金員を提供するといつてから暴行の手をゆるめているのである。従つて被告人の行為は外形上明らかに金員提供と暴行行為の停止との間に相互関連がある形をとつているのでる。単に被告人の内心において被害者の金員提供とは関係なく暴行行為を停止したと考えていたというに過ぎない。それは少しも被告人の行為その他外形的事実によつて裏打されていないものであつて単なる弁解の域を出でない。むしろこの場合被告人が暴行行為を停止するに至つた動機の中には被害者からの金員提供という意思表示のあつたことが重要な要素として含まれていたものと見るのが相当である。そうすればそれまでの被告人の暴行脅迫行為は姦淫目的又は安全逃亡目的であつたとしても、被害者の右の如き意思表示を契機として爾後金員提供との間に関連を生じ、強盗罪成立に必要な金員奪取目的の暴行脅迫がなされていることとなるのである。そこに前掲判例の合理性がある。尚姦淫の手段のみの暴行行為による抵抗不能の状態をその侭利用して本件同様の強姦被害者の財物を奪取した場合にはその暴行行為と財物奪取との間には関連を生じ因果関係ありとして強盗罪を認定した東京高裁判例(昭和三〇年七月一九日東京高裁判決高裁判例集第八巻第六号八一七頁)もこの論旨に立脚するところである。従つて本件の場合強盗罪には強姦罪の如き他人の抗拒不能に乗ずる場合に関する明文がないことは何等関係がないのである。

(四) このように考察すれば、原判決が被告人の本件暴行をもつて金員奪取と関係がないが如き見方をしているのは事実認定に誤があるというべきであり、仮にわれわれが右に主張するように本件暴行行為と金員提供及び受領との間にある程度の相関関係があるとしても、その程度の関係では強盗罪を構成しないというのが原判決の趣旨であるとすれば原判決には法令解釈の誤があるというべきである。何れにせよ原判決の右誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決はこの点において破棄を免れない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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